髭人爺(ひげじんじ)です。
メンタルをなめてはいけません。ホンマに苦しいですわ。
当時本社(都内)で人事担当として忙しい毎日を送っていました。残業も多かったですし、担当テーマも複数抱えていました。毎日首都圏で乗車率120%を超えるような路線で、立ったまま身動きできない状態で通勤していましたが、数年間は全く平気であり、車両の繋ぎのところの狭いスペースでイヤホンで音楽を聴き、本を読みながら過ごせたものでした。
ある日、いつものようにラッシュ時の混雑した車内で窓の方を向いて立っていましたが、ある駅で思いの外多くの乗客が乗り込んできて、背中側から押されてガラスに顔が押し付けられるような状況になりました。何とか扉も締まり発車したわけですが、すぐに車両スピードが落ち「車両故障のため停止します」というアナウンスが流れて電車が止まりました。
その際、なぜだか全くわかりませんが急に頭の中に『このまま車両故障が続いて止まったままだったら、俺、気が狂うなあ』という恐ろしい考えがよぎりました。とたんに全身総毛立ち、意識も薄くなって、嫌な汗がヴアっと一気に吹き出しました。いまだにあの瞬間を思い出すのは恐ろしいです。大声でわめいてしまいそうになった時に何とか車両が動き出しましたが、過呼吸のような状況になり、次の駅に到着した際には「降ります!」という声にならない声を上げながら、満員の乗客をかき分け無我夢中で何とか下車し、気づいた時にはホームのベンチで結構な時間がたった後でした。この日が生まれて初めて閉所恐怖症での「パニック症状を起こした記念日」となりました。まさに突然の出来事でした。
その翌日からはパニック症状との「仁義なき戦い」でした。
(他の人の邪魔にはなるが)できるだけ最後に乗ってドアのすぐ横に立つ⇒反対側のドアしか開かないことがありNG、
座っている人の前に立つ⇒押されてドアから遠くなり息苦しくなってNG、
急に目の前に開いた席に座ってみる⇒前に立っている人のお腹が目の前まで迫り苦しくなってNG、
急行/特急等は避け普通車に乗る⇒開くドアが交互になることが多く不安になってNG、
敢えてグリーン車に乗る⇒当初は少し治まったが余計な費用もかかるし、ほとんど席は埋まっておりデッキで過ごすしかなく、次第にその狭さも我慢できなくなりNG、
その後は電車だけでなくエレベーターも満員ならNG、
食事のためのお店も地下だとNG、
お店に出入り口が1カ所だけしかなかったらNG、
映画館等でも出入り口や通路から遠い席だとNG
とだんだん症状がひどくなり、利用できる乗り物、場所が限られてくるようになりました。結局『周りに人がいて身動きが取れない状態』というのが怖かったみたいです。(“広場恐怖”といいます)目を閉じて音楽を聴いておけばよいとか、水を持ち歩いてゆっくり飲めば良いとか、ご丁寧にいろいろと「解決法」を教えてくれる人もいました。気持ちはありがたく受け取りましたし、試したこともありますが、やはり原因は人それぞれですし、私には全く効果はありませんでした。http://higejinji.net/2018/02/05/hirobakyofu/
なんとか自分でも「閉所」のシチュエーションにならないように工夫をしていましたが、雨の日や車両故障、突発事故等があると、電車が混むため、空いた電車が来るまでは何時間も待たなければならないような日が続いていました。時には家族に迎えに来てもらったりしてもらったこともあります。(遠回りしたり、タクシーに乗ったりで余計なお金がかかってしまう可能性があることは妻にも了解してもらっていました)
ただ非常に幸運だったことがありました。
自分の担当業務の一つとして休職復職対応をしていたので、月に1回本社の統轄産業医(精神科医)と打ち合わせる時間がありました。打ち合わせが終わってからの立ち話で、個人的に「通勤途中で閉所恐怖症状が出て困っている」ということをご相談したところ、すぐに通院を勧められ、処方していただくことになりました。このタイミングで専門医の診断を受けることができたのが非常にラッキーでした。(そのまま今も私の主治医をしていただいています)
メンタルクリニックというのは、とくに日本ではまだまだ誤解されているところがあり、なかなか自分からは行きにくいような印象がありましたが、先生が直接通院をご指示くださったので気楽に受診でき、本当に良かったです。
まずは十分な睡眠と生活リズムの安定化を指示され、軽い睡眠導入剤を処方されました。並行して自分なりにラッシュ時間を避けての通勤や、急行/快速/特急に乗らない工夫、比較的空いている車両を選んでの乗車等を心がけました。車両事故等のアクシデントがあった場合には自宅に連絡し、時間を数時間ずらしてゆっくり帰ったり、場合によっては(出費は痛いですが)タクシーで帰ったりしました。上司にはパニック症状で処方を受けていることもご報告していたので、もしも交通機関のSTOPや車両故障等があった場合には、若干の遅刻・早退もありうることは事前に了承をいただいていました。
数か月後のある時、随分症状もおさまったころでしたが、地方出張のため人事の先輩と一緒に飛行機に乗らざるを得ないことになりました。正直若干の不安はありましたが、主治医からは「搭乗30分前に薬を飲んでおけば大丈夫でしょう」というコメントもいただいていたので、指示通り薬を飲み搭乗手続きをしました。いざ機内に乗り込み、席に着きましたが、扉が閉まる数十秒前に突然またパニック症状の発作が起きました。真っ青になりながら同行の先輩社員に急遽資料を丸投げしてお願いし、何とか扉を閉める数秒前に機外に出ました。CAの方やグランドホステスの方には本当にご迷惑をおかけしたと思います。あとで専門書を読むと、特に飛行機では密封性が高い空間であり、電車のようには途中で止まれないことから、不安を感じて発作を起こす比率が高いことを知りました。(前述の“広場恐怖”そのものです)
このこともあり、実は未だに「飛行機恐怖症」は治っておらず、プライベイトも含め、この日以来一度も利用しておりません。(当日の恐怖感はまだ身体に確実に残ってますので、「もう一生海外旅行は行かれへんかもなあ」と覚悟しています)
このような状況で、発症から1年半ほどは苦労して本社に通っていましたが、1時間半をかけての都内への満員電車での通勤はストレスそのものでした。(その後しばらくして、自宅最寄り駅から2駅という事業所の人事ポストを調整いただけたタイミングで人事異動が発令され、心の負担がぐっと減ることになります)
今になって思えば
1)仕事が忙しくなっている中で、通勤のストレスも含め、無意識のうちに自分の中にじわじわと「パニック症状の素」は溜まっていっていたように思います。
2)忙しい毎日で食事時間、睡眠時間が不規則で絶対量も不足になっていました。疲れもたまり生活リズムも狂っていたと思います。
3)自分がかかっている病気に関する知識がまだまだ浅かったことを感じました。それからは主治医に細かくお聞きするようになりました。
4)同じテーマを担当していた先輩社員とは非常に相性がよく気が合っていましたが、仕事の進め方については微妙なズレを感じていて時々不満を感じていました。その点はなかなか口に出せずストレスになっていたのかもしれません。
ということが原因だと考えられます。また一方で良かった点としては
①症状が更に悪化する前に、専門医の診断を受けることができたこと
②家族(妻)には全て隠さず話ができていたこと
③上司・同僚にも閉所恐怖症(パニック症状)を持っていることを自ら話しておきご協力・ご配慮をいただけたこと
があげられます。
もしかしたら筆者と同様に、人知れず通勤ストレス等で苦しんでいらっしゃる方が、皆さんの身の回りにもいらっしゃるかもしれません。是非そのような可能性も含め、困っている人がいたらご配慮いただければと思いますし、特に通勤のストレスは馬鹿にならないという点をご理解いただければと思います。また働き方改革を政府も叫んでいる昨今ですので、たとえば「サテライトオフィス」や「在宅勤務制の導入」もご検討いただければ、かなりの方々が助かるのではないでしょうか? 新しい制度の検討は、色々と懸念される点はあるとは思いますが、社員のモチベーションが上がれば仕事の質は確実に上がると思います。
次回は「メニエール病」について記載します。