髭人爺(ひげじんじ)です。
ある時、半年間で2度上司の人事異動が発令され、1〜2カ月ごとに3人の上司に順番に仕えることになりました。「さあ、この体制で頑張ろう」と思うたびに上司が変わるということであり、『現場の状況を考慮しないTOP判断』だったと正直今でも腹立たしく思います。【人事マン】かつ総務や事業計画も見る責任者であった私は、都度社内外に対して必要な届け出手続きを行い、株主や役員を集めて必要事項の決裁を受け、新規着任者にはそれぞれ部門組織の説明、会議体の説明や個別面談の設定、情報セキュリティの設定調整、関連部門への案内等をすることになります。必要な処理ですのでもちろんきちんと実施したつもりですが、何よりも困ったのはそれぞれの上司で考え方や、仕事の進め方、部下に対してのスタンス等があまりにも違いすぎたことでした。
「上司方針としてTOPダウンで自分の思いをおろす上司」「みんなの意見を聞き尊重しながらも自分の思いを語る上司」「自分の意見は言わずに部下からのボトムアップで上がってきた内容を見て方針を決める上司」と三者三様でした。
これは上司のタイプとしてはそれぞれ決してNGとは言えないよくあるケースであり、筆者に気持ちの余裕があれば問題なかっただろうと思います。ただし、トータル4ヶ月の間に様々なタイプの上司に合わせていくのは正直従来以上に負担になりましたし、何度も会社の状況について同じ説明を繰り返さなければならないことで、貴重な時間がなくなっていくことには大きなストレスを感じていました。
特に(部下の自主性を尊重するスタイルで)各部門長が作成した資料に修正を加えるタイプの上司対応では、自然と部門長の会議体が増え、資料改定に最も時間をかけてしまうことになりました。期待されていると感じることができれば、やる気も出てよかったのですが、どうしても【資料作りのためだけの仕事】のようにならざるを得ず、毎日悶々としていました。ただ上司ご本人はいたって真面目で正義感もあり、裏表もない正直な人物で、人間的な魅力もありましたので、スタンスさえ合えばうまくいく可能性もあったと今は思います。
残念なのは『上司は自分自身が部下にとっての大きなストレッサーになっていることに気づいていない』ということだったと思います。こういうことは結構多いのではないでしょうか? 真面目で一本気で頑固である性格は、逆に融通が利かず厄介な存在になっていきました。【人事マン】である筆者としては、上司が誤った方向に走って行ってしまわないように、毎日必死で軌道修正しようとしていた感じでした。
数カ月たたないうちに「資料のシナリオ作り~部門間調整まで丸投げされること」や、「過去(筆者が担当していなかったころから)の仕事のやり方の不備についても、詳細の説明を求められること」に時間がかかり、主要テーマが進まなくなることが増えていきます。当の上司からは「なんでも困ったことがあったら遠慮なく相談してよ」というコメントがありましたが、普段の仕事ぶりで辟易していた私には残念ながら心の余裕はなく、その時は正直形式だけの薄っぺらい発言にしか受け取れませんでした。
そのころから血圧が不調になり、時々耳鳴りがするようになりました。メニエール病の再発かと思いましたが、【人事マン】という立場上あまり遅くまで会社に残れませんし、結局は仕事の進捗を何とか守るためにノートPCを毎日自宅に持ち帰り、土日も含め仕事をするようになりました。これが『悪循環の素』になります。自宅である安心感もあって深夜まで仕事をするようになり、寝ようとしても眠れなくなりました。朝は起きても頭痛がしたりボーっとする繰り返しで、ふらついて歩けませんし、睡眠時間も不規則になり、とうとう昼夜が全く逆転するようになりました。朝起きた時の頭痛とふらつき(場合によっては吐き気)はどんどん激しくなっていきました。
既に閉所恐怖症の際にお世話になった主治医に診ていただいて、処方を変更したりしました。が、なかなか症状は改善されず、主治医からもやはり「特定の人物との関係性が原因ではないか」と診断されるに至り、物理的に距離を置いて身体と心を休ませるため「約1ヶ月間の自宅療養」という診断書が発行されました。人事・総務・経理を預かる責任があったため、会社を休むことには業務の停滞につながると正直戸惑いもありましたが、反面、心の中では少しほっとしたことを覚えています。その後は休暇中に私の人事異動が発令され、その部門の職から解かれました。結局は対象となった上司とは半年間の関係でしたが、今思い返しても『信頼されている』という実感を一度も感じることができなかったという記憶しか残っていません。
本来は、自分自身も部門長の一人だったので、もう少し上司に対して「自身の言葉で思い(方針)を具体的に示していただく」ことを要求すべきでした。部下には、組織の長としての責任を負わせることはできませんでしたので、一人で問題を抱えていたのも長期休みにまで至った大きな要因と思います。その辺りは【人事マン】としてのプライドもマイナスに働いたかもしれません。組織全体のことを考えるとちっぽけなプライドだったと今は思います。私の力不足でした。