髭人爺(ひげじんじ)です。
このところ「高齢者」についての話を続けてきており、今後も書きたいと思っていますが、あまりにもここ数カ月「スポーツ界(プロアマ問わず)でのパワハラ」が世間をにぎわせておりますので、今回は【パワハラしていることに気づかない《情けない人たち》】のことを優先して書きたいと思います。
「パワハラ」という言葉は2000年を超えてから頻繁に使われるようになったそうですが、もっと昔から上司や教師が立場の弱い部下や生徒に対して、強制的にいうことを聞かせるという実態はありました。
スポーツ界では「気合が入っていない!と体罰を繰り返す」「監督が部員を怒鳴りつけ、グラウンドを走らせる」「試合に負けたら坊主になることを強制させる」「監督に嫌われると試合に出してもらえない」等々 ごく当たり前のことのようにどの地域でも見られる光景でした。監督やコーチの中には、本当に部員のことを真剣に思い、強くなってほしい一心でそのような言動に至っていた人もいたかもしれませんし、部員側もある程度納得していた人もいたかもしれません。
ただその時代でも「感情的になって有無を言わさず怒鳴りつける」「すぐに体罰に及ぶ」といった行為については、受けた生徒側は悔しい気持ちでいっぱいで歯を食いしばっていたのではないかと思います。
このようなことは、スポーツに限らず、ビジネス上でも起こっていることです。「他の社員の前で上司が部下を延々と叱責する」「取引先相手に成果を出せない社員を無能呼ばわりする」「意見をする社員には評価を下げたり、閑職に追いやる人事異動を行う」等キリがありません。
本件がこのところ騒がれ出したのは、相撲、アメフト、レスリング、ボクシング、そして体操といった競技ですが、当然ながらこれだけで終わるとは到底思えません。報道の通り、一旦対応を間違うと、社会的にダメ出しを食らい、SNSが炎上し、責任者の言い分は全て「自分都合の言い訳」と化し、評判は地に落ちます。
『勇気を持った告発』
⇒『責任者が否定(身に覚えがない)』もしくは『なかなか本人が自分で語らない。パワハラを認めない。謝罪しない。』
⇒『更に騒ぎが大きくなりワイドショーが事細かに取り上げる』『責任者本人の人格や知人関係まで調べあげられて話題にされる』
⇒『かなり遅れたタイミングで【自分はそんなつもりではなかった】【そのように受け取られるとは思わなかった】という全く心の篭っていない形式的な謝罪会見が行われる。
⇒『かなり遅れたタイミングで【第三者委員会】が設置される』
⇒『調査に時間がかかり、その間ずっとマスコミに取り上げられる』
⇒『そのスポーツ団体や大学の所属メンバーにも大きな悪影響が出る(所属している団体を辞める人も出ていますし、入部・入学を予定していた人や、受験に関心を持っていた人も減るでしょう)』
といった事態に発展しています。
ハラスメントに関しては、改めて言う必要もないと思いますが、今回問題視されている責任者側(監督・理事長・本部長・会長)といった人たちに共通して言えることは《そもそもパワハラが成立する条件ということ(パワハラの定義自体)をきちんと理解されているのか》です。
これには、一応厚生労働省が作成した定義はあります。
2003年にコンサル会社が労働者からの相談を受け、初めて定義した時には「職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える」とされています。
東京都では「職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して、精神的または身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」と定義づけました。
このころはあくまでもビジネス上の問題としてとらえられていました。
厚生労働省のワーキンググループは2012年に上司-部下の関係性にとどまらず、『職場内の優位性があるケース(例えば幹部役職者の子女が職場にいる場合等)』でもパワハラとして取り扱うこともあるとしました。
ビジネス上で使われていたものが、スポーツの世界にまで発展していき、「地位や人間関係のパワーを背景に、練習場所やスタッフの人事権を掌握し、代表選考や成績判定にまで影響を及ぼすことで、特定の選手を追い込むこと」といった意味合いで使われるようになってきたというのが現状であると思います。
大相撲の〇〇部屋の親方、〇大のアメフト部の監督・コーチ(理事長)、〇〇館大学の学長、アマチュア(奈良チュア?)ボクシング協会の会長、そして以前から結構権力集中で有名だった体操の〇〇夫妻等々、全員共通して【既にパワーを持っている立場にある人が、いくら「パワハラではない」と説明しても、〝受けた側の選手が、その存在におびえ、自分の言いたいことも言えず、不本意な判断を受けて、納得できるような説明もないまま不安な日々を過ごしている〟ことが事実である以上、その時点でパワハラは成立している】のです。
責任者側が「そんなつもりはなかった」「本当の意図が伝わって無かった。受け取り方が乖離している」「そんなパワーは持っていない」と言っても後の祭りです。
つまり〝パワハラという言葉の定義はあっても、パワハラを図る基準がないことと、情報の漏洩や拡散自体を、パワハラで抑えている〟ということ自体が大きな問題をはらんでいるわけです。
その点、上記のような責任者たちは大きな勘違いをしていると思います。時代はすでにそのような【勘違い】を許さない空気に変わっています。もう「愛情をもって殴るから理解しろ!」という世界ではないのです。上記の責任者たちに共通して言えることはまさに《時代の空気を読めていない》ということなのかもしれません。
この後は、言った言わないの世界になり、第三者委員会を交えた泥仕合になっていくと思われますが、一番かわいそうなのは「勇気をもって告発した選手」と「真面目に練習に取り組んでいる選手」たちであることは忘れてはいけないと思います。マスコミも面白おかしく、責任者の素性を調べ上げることばかり考えず、政府を動かして早急な判断をさせる、他のスポーツでも同じようなことがないのかどうか早急に確認させるような方向に力を向けてほしいと思います。