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高齢者の自殺について

髭人爺(ひげじんじ)です。

今日は重いテーマです。高齢者を理解しようシリーズ第5弾「高齢者の自殺」です。

これは辛い話ですね。

そもそも高齢になれば、自然に「自分の最期」を意識するものです。自らの意志でそれを早めてしまうというのは、当然ながらそれなりの理由はあるのだろうと思います。

自殺者全体では、H23年ごろには「3万人超え」という数字がありましたが、H24年を境に何とか3万人を切るくらいの人数規模になっています。そのうち高齢者は65歳〜74歳までは横ばいですが、75歳以上が増加しています。

政府の調査では、高齢者の自殺の理由として多いのは「健康問題」であるようです。病気による痛みや苦しさの問題ではなく、むしろ、自分の医療費がかさむとか、介護の手間のために「配偶者や子供にこれ以上負担をかけたくない」という非常に辛い理由で、自ら死を選択する方がいらっしゃるようで言葉を失います。

その調査によると、もしも自分が自殺を選択するとしても「おそらく直前まで気持ちが揺れ動くだろう」と調査に答えた人が多い中で、70歳以上の方は「気持ちが揺れ動く」という比率が低かったそうです。ご自身の人生について達観され、ある意味で「死」という覚悟ができているということなのかもしれません。同様に70歳上の方は「(もしも自分が自殺をしたいと思ったとした場合)周囲の人が止めることができるか?」という質問に対して「止めることができないだろう」と答える方が多いそうです。つまり一度覚悟をされたら、その後あまり気持ちを変えることなく、実際の行為に走ってしまうことを厭わないということになります。

 

高齢者の尊厳を考える時、KEYになるのは筆者は【自尊心】ではないかと思っています。

【自尊心】が『自己満足』と同義になってしまった場合、周りの家族のことを考えず、自分さえよければよいというような姿勢になり、自分の地位や名誉や資産やお金や経験を守りたいという意識が強くなりすぎて、誰も信用できなかった人は、結局最後は《孤独感》をたっぷり味わいながら亡くなっていくことになってしまうと思います。

【自尊心】が低く、どんな時でも何でも「自分のことよりも人のこと」「自分はどうなっても良いので、後に残る人の役に少しでも立ちたい」という考え方の人は、当然ながら「人に迷惑をかけたくない」という思いや、「自分の健康問題で治療が長引くよりも、早く死んだ方が、少しでも経済的に助かる。」という思いになり、早めの死を望む人もいるかもしれません。昔は生命保険等は自殺は対象外でしたが、今は自殺の場合も保険金が支払われる商品が増えたことも、「自殺」という選択肢を選ぶ人を増やしてしまうということに繋がってしまっているようです。いくばくかの保険金を残すためにと「自殺」を選択する高齢者の方も多いと聞きます。命に値段をつけてしまうようで抵抗感はありますが、一方で自分自身も生命保険料を払っていたりしますので、そのような気持ちになることがある人がいるというのも理解することはできます。

ただ筆者は、そのケースもある意味【自尊心】『自己勝手な思い込みによる満足感』とすり替えてしまっているように感じてしまいます。

自分としては精いっぱいの愛情のつもりでも、残された方々の気持ちまで尊重できていないような気がするのです。【自尊心】というのは本来「自分だけ」でも「周りの人」でもなく、もっとシンプルに“命を貴ぶ”というものであると思います。

健康の状況により、医学の限界から回復の見込みのない病気になってしまった高齢者の方が「自分の命なんてなくなってしまった方がみんなの負担がなくなる」と考えるよりも、命が燃え尽きるギリギリまで、自分の子どもたちや孫たちとの時間を少しでも長く感じていたいと思えるような世界、孤独感を味合わなくても良い世界になればいいなとつくづく思います。

 

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