髭人爺(ひげじんじ)です。随分投稿をサボってしまいました。
久しぶりの今日は【発達障害については対応が難しい】という話です。
最近になって何人かの芸能人の方々が「自分は発達障害であった」ということをカミングアウトするケースが増えています。まだまだ世間の受け入れ方は本人たちの発言に追いついていけない状況ではあると思いますが、かなり前進したのではないかと思います。
特に従来まで「発達障害というのは児童期に判明する」ということが常識のように思われていたのが、実は大人になってから実は発達障害だったということが分かるというケースが公になってきたということだと思います。
モデルの栗原類さんや、タレントのジミー大西さんのように、以前から自分が発達障害であることを自覚し、その経緯を書籍にしたりインタビューに答えたりといったケースとは違い、ここ最近でカミングアウトされたケース、たとえばアナウンサーの小島慶子さんや、書家の武田双雲さんのようなケースでは、自分でもなぜ小学校中学校の時に先生や同級生とうまくコミュニケーションを取れず、人間関係を形成できないのかわからなかったのが、「発達障害」についての理解が深まるにつれて、「これは自分のことではないか?」ということに気づくようになり、その後きちんと診察を受けて判明するというケースもあります。
ご本人としては、そのように医師から告知された時には少なからずショックを受けると思いますが、逆に診察を受けたことで、自分でも合点がいき、色々と悩んでいたけれどそれは病気の影響だったんだとわかって、ホッとするということがあるようです。
スティーブ・ジョブズやスティーブン・スピルバーグ、トム・クルーズ等もそれぞれ発達障害を持っているのは有名な話ですし、台本が読めない、顔を認識できないといったハリウッドタレントもたくさんいるようです。名前をあげた方はいずれも才能に秀でた稀有な存在であり、「発達障害という存在」=「世の中で生活していくのは難しい人」でないことだけは間違いないと思います。
むしろ「ごく普通の一般的な人」よりも、社会や文化に貢献できている人も多いわけです。
映画「レインマン」ではダスティン・ホフマンが自閉症の兄、金儲けに夢中の弟をトム・クルーズが演じて、兄弟愛を描く中で、記憶力が突出している【サヴァン症候群】のケースが話題になりました。兄の持った才能を金儲けに使おうとした弟は、最後には兄の存在の大きさを知ることになります。
今は「発達障害」の〝障害〟という言葉自体が本当に正しい使い方なのか、難しい問題になりましたね。(「障害」なのか「障がい」なのかという議論もあります)むしろ『個性の一つ』であるというのが正しいのかもしれません。私たちは積極的に正しい理解をしなければならないと思います。
現在非常に懸念しているのは「自分の周りの《発達障害っぽい人探し》」という卑劣な行為をする人たちが出てきているということです。「発達障害」に関しての関心が高まることは、ある意味前進ではありますが、中途半端な理解で無神経な行動に出ると、人を病気扱いしたり、差別やいじめに余計につながったりする可能性があると思います。
メディアに踊らされないように、正しい情報を確認し、むしろ「発達障害という突出した大切な個性を、将来の発展のために大切にする社会づくり」ということが、今後ますます必要になるでしょうし、それが今までは考えつかなかったようなことを発見したり、科学の課題をブレイクスルーすることにつながるのかもしれません。
今やらなければいけないのは、周りの人たちを疑心暗鬼の好奇の目で見渡すのではなく、そのような個性の人もいるという当たり前のことを認識し、お互いが住みやすいような環境を作ることだと思います。