髭人爺(ひげじんじ)です。
今日は発達障害の中で【ASD(自閉症スペクトラム症)の〝三つ組の障害〟について】の話です。
以前までアスペルガー症候群と呼ばれていた症状も2013年に改定された《DSM5》により「ASD(自閉症スペクトラム症)」という呼び方に統一されました。
世界保健機構(WHO)が作成した基準《ICD10:1990年》もありますが、これはWHOでの国際合意に基づいています。《DSM5》の方は、各国の研究機関や病院等でそれぞれ独自の基準としていたものをベースに、精神医学の最先進国であるアメリカ国内の大学や研究機関、医学機関等が医療現場での患者の実データを踏まえて作成したもので、今も共通化の検討は行われているようです。ちなみに日本の厚生労働省は、公的支援を受けるための精神障害者手帳等の認可等の際は《ICD10》に基づいた運用がされています。
さてASD(自閉症スペクトラム症)ですが、下記のような症状例があるようですが、ほんの一部にすぎません。
1)全体よりも部分にこだわりが強く、例外を一切認めない
2)繰り返しを好む
3)音や匂いに敏感
4)他人の気持ちを推測できない
5)話している途中でも何かに気をとられると他のことが見えなくなってしまう
6)物事の順番を気にする。(理解した順番どおりでないと行動できない)
7)場の空気が読めないで頭に浮かんだ思ったことをそのまま口にしてしまう
8)一つのことを話し出すと止まらなくなってしまう
9)曖昧な表現が理解できない
10)指示されていた以外のことを急に言われるとパニックになってしまう
11)表情を読み取るのが苦手
12)視線を合わせて話ができない(逆に視線を外せないでじっと見つめてしまうというケースもある) etc.
上記のような症状例を眺めてみると、意外に自分自身にも当てはまることがあることに気づきます。(6や8は思い当たるし、12あたりは恥ずかしさや照れもあり、よくやってしまっている気がします)
みなさんはいかがでしょうか?
こうやって見てみると「発達障害」というものは実に身近なものであり、誰しもが少なからず持っている要素が、少しだけ程度が激しいということなのではないかと思います。だからこそ大人になるまで「自分自身が発達障害であった」ということに気づかなかった大人がたくさんいるわけですね。
逆の言い方をすれば「発達障害の対象者を特別視することは不要であり、むしろキャラクターや個性であるという認識を持って接するべき」だと思いますし、そのようにみんなが思えば、もっと発達障害の方々が生活しやすい世の中になるように思います。とはいえ現時点では発達障害をもつ対象者の方、そのご親族の方々は、生活していく上で大変なご苦労をされているのは間違いありません。
その生活上の障害のうち代表的な下記の3つを【ASDの三つ組の障害】と呼ぶそうです。今一度下記のようなご苦労があることを認識して、少しでも「生活しやすい」ようにご協力できればと思います。
(1)社会性の障害
人の気持ちを理解するのが苦手。社会的なルールやマナー・礼儀を身に付けることができない 自分の立場が理解できない。複数の人との会話が苦手。
→人付き合いがうまくいかないため孤立したり、自分から避けるようになってしまう
(2)コミュニケーションの障害
皮肉や冗談が通じない。言葉の意味を辞書的にしか理解できない「字義どおり性」がある。相反する複数の意味をもつ言葉は片方しか理解できない。聞き手の立場に立って話すことが苦手。主語が抜けることがある。
→話し相手が不快に思ってしまう。自分から話すのが怖くなってしまう。
(3)想像力の障害
突発的な状況に対応できない。急な予定変更に対応できない。同じ行動パターンが崩れると怖くなってしまう。
→相手がどうしたいのか類推できないので気が利かないと思われてしまう。