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学習症(LD:Learning Disablities)・ディスレクシアについて

髭人爺(ひげじんじ)です。

今日は【学習症(LD)およびディスレクシアとは?】という話です。

実は筆者もメンタルヘルスの勉強を始める前までは、聞いたことはあっても、内容まではきちんと理解しておりませんでした。実際に内容を知ってみると、小さい頃から結構親戚や知人の中にも、学習症のお子様をお持ちの方や、(今まで全く気づいていなかったけれど)実はディスレクシアだったのではないかと思われる方もいらっしゃったことを思い出しました。日常の世の中では、なかなか生きづらい人がたくさんいることを知り、自分の無知さで、もしかしたら嫌な思いをさせてしまった人もいたのではないかと思いました。

今日はそんな内容です。

学習症『LD:Learning Disabilities』

これは知的発達の問題がないにもかかわらず特定の学習スキルに問題が生じる発達障害の一つです。大きく3つの障害に分類できるとのことで

(1)読字障害:文字を読むことが難しい

(2)書字表出障害:文字を書くことが難しい

(3)算数障害:計算(推論)することが難しい

という分類です。最近では「聞く・話す」といった特定の部分にも障害があるケースも出てきているそうです。(文科省「学習障害児に対する指導について(報告)」より)

医学的に「読み・書き・計算」のどれかもしくは複数に障害があると『LD』あるいは『学習症』という名前で診断されます。

上記(1)の読字障害というのは「文字の形を覚えられない」「文字の形と音が関連づけられない」「文字は知っているが読み方がわからない」といった症状になるそうです。

上記(2)の書字表出障害というのも大変な障害ですね。

上記(3)算数障害は数字そのものと、それが表している数量を対応させるのが難しいという障害で、位取りや単位の換算などの理解がなかなかできないそうです。また示された条件から結論を導くような〝推論〟も苦手な範疇だそうです。

上記(1)および(2)の障害がある方を【ディスレクシア(Dyslexia)】と呼ぶそうですが、知的能力や一般的な理解力には特に異常が認められないため、病気であること(そのような病気があること)に気づいてもらえず、非常に苦労されるとお聞きしたことがあります。

確かに見た目には分からないですし、だからこそ余計に自分から病気のことを言い出しにくいという辛さがあるようです。世界すべての地域で確認されており、人口の3〜7%ほどに見られるといいます。たとえば同じものに複数の読み方ができるもの、同じものなのに言語の違いによって複数の名前が存在するもの、「へ」と「て」、「つ」と「し」、「ち」と「さ」を間違えるというのが、幼児期にはよく見られることですが、大人になっても形を認識して覚えるのが苦手という人がいるわけです。その方々は(病気を知っているごく身近な人には自分のことを理解してもらえやすいが)知らないうちに、ずいぶん苦しい時間を今も過ごされているのかもしれません。本当に正しい知識をきちんと学ぶことの必要性を感じます。

研究によって、ディスレクシアの方は「脳での情報処理の仕方が一般の人と異なっていること」が明らかになってきているらしいですが、原因はまだ明確になっていません。英語圏が一番問題とされているようです。日本ではあまりディスレクシアについての研究はあまり進んでおらず、社会的な実態調査や把握自体が行われていないというのが事実のようです。

ディスレクシアは知的能力には損傷がないわけで、むしろ一般の方々よりも優秀な成績で大学を卒業される方もいらっしゃるとのことです。また努力家が多く、いろんな分野で成功している人たちもいらっしゃいます。

有名なのは俳優のトム・クルーズキアヌ・リーブスが自ら公表していますが、当然ながら俳優業では台本読んでセリフを覚えなければなりません。オーランド・ブルームも幼少期は苦労したようですが、聖書の労働なので改善しつつあるという情報もあります。「ジェラシックパーク」の恐竜博士のモデルとなったジャック・ホーナーも、監督のスティーブン・スピルバーグもディスレクシアであることは周知の事実です。エジソンレオナルド・ダ・ビンチアインシュタイン等の卓越した才能も、実はディスレクシアだったという情報もあります。F1チャンピオンのルイス・ハミルトンもディスレクシアだったことを逆にバネにしてハンドリング技術を磨いたと言われています。(ダビンチの逆さ文字ももしかして、ディスクレシアが元々の原因? 考えすぎか)

こうやってみていくと「ディスレクシアというのは本当に本人にとってマイナスなのか」と疑うくらい、不思議な存在であることを感じます。もちろん今の世の中は「ディスレクシアでない人」の方が圧倒的多数を占めていますので、みんなのペースに合わせて生活していく上での苦労はかなり多いと思います。が、社会としてこのような卓越した才能を必要としていることも確かな事実と思います。

では「ディスレクシアでない人は何をしてあげれば良いのか」という点ですが、それは『病気のことをきちんと理解すること』に尽きると思います。

「読み」「書き」「計算」ということが、「カラオケで歌ったり」「絵を描いたり」「ダンスを踊ったり」することと同じようなレベルで、【得手or不得手】を言い合えるようになればいいなあと思います。ディスレクシアの方から「ちょっと書くの苦手なんだよね」とか「計算しなければならない時は手伝ってくれる?」と言いやすいような社会になれば、やれる人が手伝ってあげて、こちらが助けてもらいたいことは逆にディスレクシアの方の才能を発揮してもらうということになるのではないかと思います。

 

 

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